おかしいのはあたしか?せけんか?

通っている場所の空気がおかしいことに気が付いて、そこから離れようとしていたのが失敗して今の気持ち悪い状態に突入。

それはあたしが悪いのか?

夏の猛暑と変な空気の場所にじっと存在してきたことにさすがに疲れ、親戚の家に逃れて数日。

どう考えてもこんなに苦しむ言われは無いのである。

一方、いろんな苦しみや劣等感やらを乗り越えながら生きている、昨年夏に私が残酷にもサンドバッグ扱いしてしまった友人?(と彼女は認めるだろうか・・・)は壁をぐんぐん乗り越えて突進し、美しい変身を遂げようとしているのを目の当たりにしている。

うだうだと変化せず、変化を望まず、よどんだ空気の中にい続けるわたしは取り残された気分でいる。

ああ、そう、親戚の家に逃れていく都会の電車の中に飛び込んできた老年親父二人は他人。

並んだ順にドアを入らなかったとか何とかでつかみ合いの喧嘩、よせば良いのに隣り合わせに座って、しばらく静かになったかと思えば一人が降りようとした瞬間にまたつかみ合いの喧嘩、ホームに持ち越し。

転落を予測した乗客は悲鳴を上げる。

なんとか周囲の大人に静められたらしく、ドアが閉まり電車は走り出す。

くだらない。

くだらない。

くだらない。

人間がいやになる。

アップルのヘッドホンで私は中島みゆきを聞いている。

彼女はそんな世の中の追い詰められた人のために愛を歌い続ける。

それでも、私はもういやだ。

そんな気分から開放されない。

先週末、ひとり昼飯の後、通りのタバコ屋でガムを買った。

のんきなおじさんが値段がわからず100円でいいよと売ってくれた。

そんなやり取りはかなり好きだし、心が和むのに。

私は人間がかなり嫌になっている。

恨み、憎しみから解放されない人々、私は無関係でいたい。

無関係でいればわたしは恨みも憎しみも持たずにいられる。たぶん。

制服のように地味なシャツとズボンの男たちが無言で蕎麦やうどんをすする、その中に混じって自分も蕎麦やうどんをすするのがなんとなく気に入っているというのに。

私は人間が好きだとは言えない。

泥の中から希望を見出した彼女と私はもう、どこも似ていない別の世界で生きる者になった。

この世界に希望があると信じた者と、この世には希望など無いと心を閉ざした者。

親戚の家でごろごろする自分の情けなさだらしなさは、20年前とほとんど変わらない。

肉親はそれでも見捨てず優しい。

感謝。

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