やってしまった・・・人間失敗 

夕べはわたしがしでかしたとあることといろんな小さな不安や心身の疲労から、お風呂も洗顔もブログも英会話もパジャマに着替える事も何もかもやらずに寝てしまった。

図書館から借りてるCDのうちのピアノJAZZが梅酒でほろ酔いの弱った心にとても美しく染みた。少しづつ癒されたような気分になった。
夕べ最後に見たTVのニュースで心がまた疲れた。歩き始めたばかりの子供が他人しかも女に刺された。身近な駅だった。
帰りの電車が途中の駅での人身事故で遅れていたこともあったし、職場での人間関係のちっぽけでだけどかなり重大な失敗を犯してしまったことが頭からずっと離れない一日だったのに・・・

それはお昼の休憩時間。
仕事がバリバリできて、元気で明るくてみんなに認められている年下の先輩派遣さんがその他のみなさんと離れたテーブルにひとりで座っていた。なぜ?と思いつつ、なんとなく馴染んでなくて気まずさを抱えているわたしはその他の皆さんの列のはじっこのほぼ同期の同年代のパートさんの方に席を取った。若い年齢のその他の皆さんたちのひとりが仲間に耳打ちしたのを見てしまった。口が読めてしまった。「○○さんがいるから・・・」

はらら~・・・・そういうことか・・・気づいた時には遅かった。
同じ場所でずっといっしょに1日働いてる仲間なわけだから、ちょっと苦手でも気を利かせるのが常識だったのかもしれない。ほんの数十分だまっていても近くに座っているだけでよかったのかもしれない。
その後は気の重い半日。こういうこまかい心遣いの足りない人間付き合いが今の自分の貧しい人間関係とか、嫌われキャラを作り出しているのかもしれない。と、考えすぎなのかどうかもたった一人では確認できないまま、とりあえず反省をしてみた。今後に活かされれれはいいんだ。やっちまった失敗はしょうがないわけだから・・・・

だけどひとつ疑問。わたしは悪いのか?そうじゃないよな・・・あんなに明るい彼女がなぜ、席が無い訳じゃないのにみんなのそばに座っていなかったのか?短期間しか居ないわたしにはわからないことがいろいろあるんだろうな。
彼女がわたしだったら・・・・そばに座ってもらったら嬉しかっただろうか?微妙だ。だけど心使いには感謝するかもな。大勢の中でぽつんとひとりはA型人間にとってはちょっと辛いから。彼女もA型と聞いている。気まずい空気が流れた事は確かで、いくら気丈そうとはいえ、少し傷つけてしまったのかもしれない。女がたくさん居る職場、あーだこーだ好き勝手自分の判断でいろんなことを言われるかもしれないな。わたしだけではなく、彼女も。

どこにでもあるそんなちっぽけな事で、少なくとも昨日のわたしはどこにも行き場所なんかないような、どんな職場でも通用しないような、これから生きていく自信すらなくしつつあった。
基本に戻る。堂々巡り。問題の原点は何も変わっていないようだ。

だけどひとつつまずく毎に気付きはある。
仕事がいやになって人にすべてを投げて責任を放棄したり、
人に対して思いやりが無かったり、
話をちゃんと聞いてなかったり、
ほんとは会話が苦手なのに平気なふりをして調子のいいことばかり最初に言ってたり、
会話を続けようとする努力なんかしたこともなかったり、
そうかと思えばひとり離れてブルーになっていたり、
人のいい面を口に出して言ってあげようとするわりに、心の中で人のいやな部分を探してばかりいたり、
周囲にお構いなく気分次第の空気で生きていたり、
・・・・と、自覚したことだけでもかなり“嫌なヤツ”と言われてしょうがない部分ばかりだ。
気付いたなら反省して改善。そうすれば無駄にはならない。

だけど・・・・・とまだどこかで言い訳しようとしている自分がいる。

自分が居る場所はそこじゃないような気がする。それならどこだ?
自信と誇りはどこから生む?ぽっかり開いた穴は何で埋める?
具体的な目標?どう絞り込む?
自分の本当の望みはどこにある?
どうして何もわからないまま決定を先延ばしにしている?
自分で決められないなら、人の役に立つことをすればいい?
わたしのような者を必要としている場所なんかどこにある?

どこかにあるような気がしたり、どこにも無いような気もしたり・・・

腰の痛み、体調不良、方位に逃げる。自分自身に言い訳ばかりする。
天気がいいから外に出る。
何もかも忘れたくて気分転換それから決めようとごまかしの行動をとる。
だけど・・・突き詰めても、外出しないで部屋にこもっても、明快な答えなんか出ないことはもう何度も経験済みで。
ごまかしじゃない行動を取るしかないってことか。

本日予定。
もう、洗濯とバストイレルーム掃除、朝食は済んだ。
図書館へ返却へ、外でランチ、足腰痛み対策に靴屋へ、おばの家へ自販機の補充に。
仕事探し今からネットで。いくつかエントリーだけしておこうかな。と。


深夜追加・・・
たばこの補充に行ってきた。寄り道が多かったため、到着が日没後。あわててたばこ補充してすっかり忘れていた植物たちの水やりも適当にして、カギのいいかげんな玄関に不安を覚えながら近いはずなのに長旅の疲労の都会の駅乗り換え電車ではるばる帰ってきた。

図書館へ返却に行ってまたCD借りてきた。JAZZ2枚。キューバのピアノトリオを流している。けっこう良さそう。もう一枚は有名な人。名前忘れた。後日感想予定。

大きな街の駅はストレス。いろんなびっくりするような人がたくさんいる。でかいわたしでもなんと微かなそんざいであることか。そして連日の物騒な事件。ひとりで安全に生きるすべをなんとなく身につけてしまっているわたしでさえ、背後の気配、対面、酔っ払い、暴力的な内面を抱えもっていそうな普通の人々がやたらに恐い。ついでに外部からの思いもよらない刺激に対して豹変してしまうかもしれない自分自身も恐い・・・

駅で電車を待つ間、母に久しぶりで電話した。
母から電話が来ることはほとんど無く、わたしから電話するのは自分が不調の時か、母不調のうわさを耳にしたときくらい。いつも気にかけてはいるものの、なんと冷たい関係か。
年末からさんざん心配かけて助けてもらったのに・・・
その母が、ぎっくり腰で寝込んでいるとのこと。鍼灸院に通院しているとのこと。
ぎっくり腰は重病とは違うイメージだけど、自分の腰痛からしてみて、身体の中心が痛むというのはかなりのハンディだ。それだけで弱気になる。ましてやもう、高齢に達しているわけだし。
旅行の夢は更に遠ざかる。それでも本人の気力があれば何とかなると思うけど、腰よりなにより気持ちが萎えてしまうことが恐い。楽しみもがまんして、家族に気を使い、心配し・・・・・

何をしてあげられるのだろう。泣いても笑ってももう共に生きられる時間は限られている。
海外旅行は無理だろうか。国内だって遠くは無理そうだ。快適な住環境に暮らさせてあげることもわたしにはとうてい無理だ。強い意志を持てばできるのか?
心配をひとつ無くしてあげることならできるか?わたしの身のふりとか・・・・想像できない・・・

ところで、あんな感じの人とならこれからの一生を共に暮らしてもいいなと電車に乗り合わせた男性を見てイメージした。車窓の風景を何気に見ていて、ふとガラスにうつる人影のあごひげに気がついてちらりと視線を向けてみた。ゆったりした優しそうな風貌とちょっと繊細そうなきっちりした身なりの教授か牧師をイメージさせる外国人の熟年男性だった。

自分とのやりとりを空想すると・・・・
彼は言うだろう。
君はどうしてそうなんだ?何が原因なんだ?どうしたらいいんだろう?わたしに何かできることはないだろうか?ときどき曇る表情とか、寡黙な時間の多さに、顔を覗き込んでは繰り返し問うだろう。肩を抱いて、しつこいくらいに、首を振りながら胸を痛めて考えるのだろう。どうしたら君を幸せにできるのか、と。

どうもいけない。ばりばり幸福なイメージなんて想像すらできない。

帰りの電車は酔っ払いがいっぱい。
明るい会話、でかい声。5~6人の壮年男女。顔をしかめる周囲乗客の一部。
うん、明るくて大きな声ではっきり話せて話題が豊富、みんなと楽しく協調して過ごせる、友人の多い人々、成功者たち。そんなイメージがあるけれど・・・どうだろう。そんな場所では不愉快な人種でしかない。そう思うのは敗者、弱者ってことか?勝ち誇ったように周囲を無視する小奇麗な集団。ひがみか?でも、なんだか違う。そうじゃないような気がする。

そういうことじゃなくて。母にできることのすべてをどうやったらできるのか、どうしたら母のこれからの人生が幸福であるのかを早急に考えなくては。

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