とっくの昔から・・・魂は知ってるんだよ
・・・その答えを。
ずっとずっと叫びながら泣きながら呆れながら諦めながら見守りひっそり姿を潜めながらそれでも止めずに変わらずに問いかけ続けてきたんだ、きっと。望まない方向にばかり無理に進もうとしているわたし自身に。
今日、朝、普通に通勤する人と同じくらいの時間に目が覚めて、昨日のやけにくたびれた自分の顔と身体と、昨日再びまともに出た蕁麻疹に危機を感じて、2度寝した。
それでもなんだか落ち着かず、早くこの先の生活を決めないと・・・と数時間後、焦りで起き上がる。
ニュースの真実も嘘もウワサもいろんなことを余計にくっつけて時間をつぶすTVの声もラジオも不愉快でBON・JOVIのCDを流し、キッチンの陽だまりで夕べの残りのカボチャとキャベツとチキンのクリーム煮(ちなみにひとり飯さま御用達の”銀のクリームシチュールー”を使って、とても簡単においしくできた)とコーヒーとパンを食べながら、本を読む。
昨日まで数日間、本さえまともに読む心の余裕がなかった。時間なんてたっぷりあったのに。
読みかけの、カバーを取ったピンク色の優しい表紙のスザンナ・タマーロ「新たな一歩を踏みだすために」を読んだ。
彼女の言葉を読んでいると、わたしは自分が信じているものを間違いだと認めなくてもいいんだ、信じていることは間違ってなんかいないじゃないかと思えてくる。
ただ、価値観の違う人の多い社会という環境の中で生きていくには、自分の信じるものを信じ続けて、表面的にも自分を周囲に合わせて変えることを拒むということは、生き辛く、場合によっては孤独を強いられ、冷たい視線や言葉を投げかけられてもしょうがないということも覚悟しなければいけないということを知る。
小さな芽から木を育て始めたことを綴るスザンナの文章を読んでふいに涙が溢れた。そして自分の魂の声に気が付いた。
スザンナ・タマーロ「新たな一歩を踏みだすために」P.128より・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・秋にはいっしょに新しい家へ移り、家の近くに植えかえます。いつの日か、松は大木に、わたしはおばあさんになるでしょう。そうしたら、かつて幼い松にわたしがしたように、年老いたわたしに松は木陰をつくってくれるでしょう。わたしが逝っても松はまだそこにいて、黒っぽい枝を風にそよがせているでしょう。夜になれば、ひっそりした魂の言葉を二人でかわすことでしょう。・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そういう生き方を、わたしはずっと求めていたような気がするのだった。
子供の頃から、たぶん、ずっとだ。
お腹を満たして、目の前にある、ずっと気になっていた換気扇周りの汚れを掃除することにした。ついでにユニットバスの床も。
外に出かけて日光をたんまり浴びたいけれど、お金を使いたくないし、大掃除もしなかった年末のつけはたっぷりたまっていて、キッチンに差し込む日光を浴びながら掃除するのも悪くない。
足元をぐらつかせながら、わたしは目先の生活の不安にばかり捕われているのだ。現実的ではない遠くへの旅や、方位による一発逆転という他力本願とか。
これからの一生を考える貴重な時間をこんなにたっぷり与えられ、ご飯も食べ、思う存分眠れる日々を与えられているというのに、だ。
魂の声に気付いたら、さて、次に何をするべきなのか。行動だ。どんな行動をすればいいんだろう。
山へ行きたい。アメリカじゃなくてもいい。過去に放り投げてしまった大事な方々に会いに行くべきだといつの頃か心の奥のほうにしまっていた思いも浮かんできた。手工芸の仕事を手伝わせて頂き、数年間生活のかてを与えて頂いた方々。損得無しでただ会いに行くべきだと。
心の負担が少し和らいだ今日、夕方の買い物以外ずっと部屋にいて自分と向き合い、パソコンと向き合い、明日からのための行動の準備を始めた。
明日2件、派遣会社の登録へ行く。また派遣。だけど決定打が出ないうちはしょうがない。
くたびれてくすんだ顔に自信がない。今に始まったことではないのに。
メイク、めがね、またこのままの自分じゃないものになる方法に心がよそ見し始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一昨日の散歩で見かけた木々。
大木。大空に陽光に風に、堂々として美しい。
よじれてねじれてそれでも真っ直ぐに空に向かって伸びる。そういうのもありだなとひねくれた自分の性格と重ねてみる。
隣には枯れ果てた木の根元から新しい新芽が伸びている。
ずっとずっと叫びながら泣きながら呆れながら諦めながら見守りひっそり姿を潜めながらそれでも止めずに変わらずに問いかけ続けてきたんだ、きっと。望まない方向にばかり無理に進もうとしているわたし自身に。
今日、朝、普通に通勤する人と同じくらいの時間に目が覚めて、昨日のやけにくたびれた自分の顔と身体と、昨日再びまともに出た蕁麻疹に危機を感じて、2度寝した。
それでもなんだか落ち着かず、早くこの先の生活を決めないと・・・と数時間後、焦りで起き上がる。
ニュースの真実も嘘もウワサもいろんなことを余計にくっつけて時間をつぶすTVの声もラジオも不愉快でBON・JOVIのCDを流し、キッチンの陽だまりで夕べの残りのカボチャとキャベツとチキンのクリーム煮(ちなみにひとり飯さま御用達の”銀のクリームシチュールー”を使って、とても簡単においしくできた)とコーヒーとパンを食べながら、本を読む。
昨日まで数日間、本さえまともに読む心の余裕がなかった。時間なんてたっぷりあったのに。
読みかけの、カバーを取ったピンク色の優しい表紙のスザンナ・タマーロ「新たな一歩を踏みだすために」を読んだ。
彼女の言葉を読んでいると、わたしは自分が信じているものを間違いだと認めなくてもいいんだ、信じていることは間違ってなんかいないじゃないかと思えてくる。
ただ、価値観の違う人の多い社会という環境の中で生きていくには、自分の信じるものを信じ続けて、表面的にも自分を周囲に合わせて変えることを拒むということは、生き辛く、場合によっては孤独を強いられ、冷たい視線や言葉を投げかけられてもしょうがないということも覚悟しなければいけないということを知る。
小さな芽から木を育て始めたことを綴るスザンナの文章を読んでふいに涙が溢れた。そして自分の魂の声に気が付いた。
スザンナ・タマーロ「新たな一歩を踏みだすために」P.128より・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・秋にはいっしょに新しい家へ移り、家の近くに植えかえます。いつの日か、松は大木に、わたしはおばあさんになるでしょう。そうしたら、かつて幼い松にわたしがしたように、年老いたわたしに松は木陰をつくってくれるでしょう。わたしが逝っても松はまだそこにいて、黒っぽい枝を風にそよがせているでしょう。夜になれば、ひっそりした魂の言葉を二人でかわすことでしょう。・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そういう生き方を、わたしはずっと求めていたような気がするのだった。
子供の頃から、たぶん、ずっとだ。
お腹を満たして、目の前にある、ずっと気になっていた換気扇周りの汚れを掃除することにした。ついでにユニットバスの床も。
外に出かけて日光をたんまり浴びたいけれど、お金を使いたくないし、大掃除もしなかった年末のつけはたっぷりたまっていて、キッチンに差し込む日光を浴びながら掃除するのも悪くない。
足元をぐらつかせながら、わたしは目先の生活の不安にばかり捕われているのだ。現実的ではない遠くへの旅や、方位による一発逆転という他力本願とか。
これからの一生を考える貴重な時間をこんなにたっぷり与えられ、ご飯も食べ、思う存分眠れる日々を与えられているというのに、だ。
魂の声に気付いたら、さて、次に何をするべきなのか。行動だ。どんな行動をすればいいんだろう。
山へ行きたい。アメリカじゃなくてもいい。過去に放り投げてしまった大事な方々に会いに行くべきだといつの頃か心の奥のほうにしまっていた思いも浮かんできた。手工芸の仕事を手伝わせて頂き、数年間生活のかてを与えて頂いた方々。損得無しでただ会いに行くべきだと。
心の負担が少し和らいだ今日、夕方の買い物以外ずっと部屋にいて自分と向き合い、パソコンと向き合い、明日からのための行動の準備を始めた。
明日2件、派遣会社の登録へ行く。また派遣。だけど決定打が出ないうちはしょうがない。
くたびれてくすんだ顔に自信がない。今に始まったことではないのに。
メイク、めがね、またこのままの自分じゃないものになる方法に心がよそ見し始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一昨日の散歩で見かけた木々。
大木。大空に陽光に風に、堂々として美しい。
よじれてねじれてそれでも真っ直ぐに空に向かって伸びる。そういうのもありだなとひねくれた自分の性格と重ねてみる。
隣には枯れ果てた木の根元から新しい新芽が伸びている。

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