悲しみを感じない

亡くなった 友人の一件で音信が絶えていた友人とにわかに連絡を取り合っている。

休日。雨。
肌寒い。
洗濯をしない日。
部屋の不要品の片付けと夕飯の買い物とぼやぼやして1日過ぎた。

TVでオリンピックの再放送を見た。
柔道の山本選手や水泳の北島選手、映像で今日まで見られなかったメダルをもらった日本人選手たちの競技を見た。彼らを見ていて簡単に涙が出た。

なのに・・・
友人の死に関して、私はまだ何も感じられずにいる。
声を思い出す。おっとりとしていて落ち着いていて、暖かみのある深い声。
いつもいつも、自分の身体よりわたしの地に足つかない生活を心配してくれていた。
私の名前を呼ぶあの声を思い出す。

心身の病気のための薬で彼女はときどき外見だったり言動だったりが普通の状態でなくなるときがあった。そのことは年に一度会うか会わないかだった私にも明らかだった。だから・・・会うのも、電話で話すのも、おっくうっだったこともある。ほんとのことを言ってしまうと。

愚痴を聞く、ただ無邪気な会話をするだけのことすらできなかった。何の力にもなれなかったと今更思うしかない。
だけど、力になるにはあまりにも彼女の背負っていたものは重たすぎて、私にも他の友人達にも支えになれる力など無かったかもしれない。

いつか良くなる。いつか以前のように健康になる。
その一方、この先どうなるんだろう。ほんとに何ごともなかったように元気になれるときが来るんだろうか、そんな風にもたまに彼女のことを思い出すと考えていた。

やっぱりなあ・・・・という思いが今の私にはあるのかもしれない。
薬も病院も家族も友人も誰も何も助けられなかった。

だけど、この世ではない世界から見れば、彼女は不幸だと言い切れないのかもしれない。
現世での勤めを終えただけで、本当の幸福は寿命を終えた先にあるのかもしれないのだ。

この世にいなくなった友人に何をしてあげられるのか。
事情ゆえにお線香をあげに行くことも難しいらしい。
友人一同、気持ちだけでも郵送で・・・と友人たちに連絡した。
家族なし時間たっぷりありの私が取りまとめることになりそうだ。
手紙を下書きした。
泡のように思えた。


昨日の晩、ジミー大西が出ている番組を見た。美しい海に囲まれたマルタ島というところでの生活が映し出されていた。彼の絵はほんとうに美しいと私は思う。
子供の頃の悲しくて感動的な思い出を語った。彼の心を開いてくれた女の子が亡くなった話だった。

早くに亡くなる人はどこかに誰かにとても印象的な思い出を残していくんだろうか。それもその人にとって大切な思い出となる出来事を。




ひとり、この先どうなるんだろう・・・と心配な年下の友人がいる。ずっと会っていない。父親を無くしてからの彼女は更に病状悪化しているらしく、生きているのが辛いと最後に会った時に語った。たまにするメールの返事も辛い現状が短く綴られていたりする。ただ救いは、かすかに感じる怒りの感情だ。病気のために何もかも思うように行かないことへの怒り。あきらめとは違う。だいじょうぶかもしれないと私にはかすかな希望の種に見える。

どうすれば助けてあげられるんだろうか。それともただ見守るだけで充分なのか。この世での出来事がすべてではないとしたら、それで充分なんだろうか。

方位・・・信じる人しか実行はしない。現象は確実に出ると今の私は信じているけれど。



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