Lのお菓子・・・ その他今日の日記

デスノートを見た。
物語はいいね。
いっとき現実から遠ざけてくれる。
本が出るらしいけど、Lの食べてるお菓子の一覧に一番興味がある。
Lを演じている松山けんいちがどういうわけかとても好きだったりする。

部屋に閉じこもってた。
仕事探ししてた。
無駄な時間だと知っていた。
何度も繰り返したつまらない道のりをまたパンクしながら進もうとしている。
重たい車体を押しながらまだ行きたくもない場所へ向かおうとしている。
違うってことがいつもわかっているのにまだ同じ道を行こうとしている。
だけど、もう、その道を行くのを辞めようと潜在意識は決意している。

今日、自分を誉めてあげたいことひとつ。
捨てられずにいた古い布団を解体して捨てる準備をした。辛い時代を知っている布団。中身は化石化?していた。もう、どんどん捨てようと思う。思い切りがつかなけりゃ、1日1個何かを捨てると決めておく。
かばん1つで旅に出るつもりでポイでGO!だ。

昨日、母からの手紙とサプリメントの小袋が届いた。久しぶりに電話した。少し心がほぐれた。母も誰かに何かに気を使ってあえて孤独な時間を選んでいた。そして腰を痛めていた。
趣味の絵は続けていた。仕事のこと、弟のこと、妹のことを気にしていた。たぶんわたしのことも。

昨日のTVで親と暮らせない世界の子供のドキュメンタリーを見た。誰にも理由がわからない、泣いてばかりいる男の子がいた。どうしたらいいんだろうとショウエイは困ってばかりいた。わたしがその子ならたぶん、見ないふりしてずっとそばにいてくれたらいいような気がした。むりやりに何かをされたくはないような気がした。そっとして、そしてずっといつもそばにいてくれたらいいような気がした。たぶん、犬ならそれができるんじゃないかなと、今思った。いや、見るか・・・犬は。ジーっと見てるか。

いや違うな。みんな同等に冷たくも暖かすぎもせず平等に見守って接してもらえればいいだけかもしれない。小学校の恩師はそうだった。そしてわたしは心を少し解放されたし笑顔にもなれた。愛も罰も目に見える形で平等であることだ。半端な大人にはそれはとても難しいだろう。

目覚めて遅い朝ご飯。久しぶりにホットケーキを焼いた。まずまずの焼け具合だった。ここ数週間、いや数ヶ月?休日があってもホットケーキを焼こうと思う朝はほとんどなかったような気がする。
こうして、乱れてくたびれた生活と自分のリズムを、乱れた原因の時間の何倍かの時間をかけて修復していくしかないのだろうと思う。

いつもと違う出来事、ひとつ。
半年前の仕事でいっしょだった方から昨日ホームパーティのお誘いのメールがきていた。
うれしかった。が、明るく楽しくやる元気が出ないような気がした。部屋でひとりPCやTVやご飯やお茶で静かに過ごしたい気持ちが強かった。ほんとなら行くべきだと思いつつ、行かなかった。元気で明るい皆さんの中でひとり無理して暗い気持ち・・・そんな想像も心を萎えさせた。顔もかなり暗い。

そして、気がついた。
人の中で傷ついた心は、人の中でしか癒されないのだろう、と。だから人間関係が苦手そうな人もあえて接客などの仕事に飛び込んでいくのだろうかと。

とあるメルマガで、気がついた。
自分が好きじゃないな、と。
人は自分を映す鏡。自分には見えない自分を教えてくれるものと思っていたけど、そうじゃない。ちょっと違う。今の状態をただ映して見せてくれるだけなんだ。それこそ鏡。鏡は自分のよさを教えてなんかくれない。
結局、自分が自分のよさを鏡に映して確かめるしかないのだ。
メルマガの主さんの言うところはそういうことか、と。
自分が好きじゃない自分を映しているから他人はわたしを嫌っているように、批難ばかり言っているように見えるのだってこと。

だけど・・・自分のいいところをどうやって知るのか。どうやって自信を持たせるのか。難しいんじゃないのか。

ただひとつ。宇宙はすべてを許している。
すべての生きるもの、動くもの、この世に存在してるもの、もしかしたら魂といわれるものすらも、宇宙の法則にちゃんと従って存在している。
このわたしの日々の状態も、宇宙の波動に従っているだけのことかもしれない。

セドナは高い・・・聖域は遠くなる・・・シアトルでぼんやり船を見つめてあさりのスープでも食べて、おばさんに会いに行って、少し飲んで話してくるだけでもいいか・・・船にでも乗るか・・・
迷いが出ている。
すべてを手放してでも向かいたい場所はどこなの?

本来・・・旅には・・・目的も行き先も無い・・・それがほんとの旅・・・だと昔は思っていた・・・それでいいんじゃないか・・・

決定していること、ひとつ。
わたしはずっとずっと旅に出たいと思っていた。だから旅に出る。

放棄した職場のことを思い出した。回想の中の自分は頭とか神経とかのおかしい人間としての存在にしか見えない。そのことに気付いたのは今頃だ。
だけど、たぶんわたしは病気ではない。生れる時から与えられたやっかいな心あるいは頭の構造なのだ。それも宇宙が決めたこと。

通常なら、気が狂ったり病気になったりしてそこから気を紛らわせて存続しようとする機能の変わりに、人間というもののどんなに辛い真実に気がついていてもそこから自分をそらさずにずーっと突き詰めようとする、逃げることができない構造。
ちょっとやそっとの娯楽や気晴らしでは目をそらすことなどできない、突き詰めようとする心。

星からのお告げはいつも、こうだ。

与えられた日々を楽しみなさい、と。




なんとなくここへのお客さんが増えてるけど・・・気のせいか・・・大丈夫か?・・・暗くならないのか?・・・暗くてもいいのか?・・・心配だぁ・・・ごはんはちゃんと食べようぜ・・・Lはそうとう頭を使うからあんだけ甘い物が必要なんだと思う・・・








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