大人の海遊び

出会うべくして出会う運気。
1日働いてやはりぐったり。
積極的に何かと出会う動きはできず。
・・・・と負の言葉はやめといて。

サーフィンはやるべきなのかもと思う。
大人がひとりで無邪気に海で遊ぶには、サーフィンかスノーケリングか、何かはっきりした目的がないと、下手すりゃ気が触れた人・・・ってことになってしまう。
そういう遊び方をしてしまうわたしにも問題はある・・・けど、ついつい波に翻弄されることが楽しくて身を任せてはごろごろころがって喜んだりする。うろうろして浮かんでは立ち、泳いではころがり・・・・ほとんど浅瀬でそんなふうに、あとはぼんやり腰湯、ではなく腰海水浴。浅瀬のアサリのこどもたちの上にただ座ってる。
・・・・確かに、はたから見ると、気持ち悪い・・・かもね。
だから、思い切り楽しむにはボード一枚あるといいのかもね。
大人って不便ね。

どこかの海で、地元のおばあさんらしき人がひとり、水着姿でやってきて、自然にすーっと海に入って軽く泳いで、しばらくしてから、水着のまま帰っていったのを見ていたことがある。
何もおかしくも変でもなかった。

またどこかの海では、スレンダーな中年の女性がひとり、静かに波の中に入っていき、沖のほうを海岸線に水平に泳いでいくのを見ていたことがある。しぶきも立てずひたすら静かに。

またあるとき。波ひとつない鏡のような凪いだ海上をボードに乗って水平線と海岸線の間を真横にパドリングしていくサーファーを見ていた。

海は近付く手段を持っている人には身近かもしれないけど、そうでない人には遠い場所かもしれない。夏の海水浴、人ごみを省みず出かけて行ける限られた人に開かれた季節。そうでない人にはやはり遠い。

横浜で間借りしていたところの大家さんからよく昔の思い出話を聞いた。
90歳を越えて品のいいおばあさんは、その昔、昼間は暑さとはずかしさで外に出られないから、月の出ている夜に縁側から水着で海岸に下り、月明かりを頼りに、沖のヨットを目印に海を泳いでいったと聞いた。

日本のささやかな美しさを見逃さないで記憶することが、わたしにできる小さな使命のような気がこの旅の間にしたりした。できればそれを人に伝えることができたらいいのかも。
旅の前に見たTVと、まだ届かないその人の本と、まだ途中の片岡の文章がそれでいいんだと教えてくれたような気がする。
とかなんとか立派な事ならべても、実行あるのみだからねぇ。

茂原という小さな町の七夕祭りが今週末開催される。風にたなびく笹竹のしなりと吹流しが美しいだろうと想像する。カサカサというささの葉と飾りの擦れ合う音がきれいだろうと。
通りの老舗の和菓子屋のお菓子はどれもほんとうにおいしい。安くて、そして美しい。

ああ、また夜更かし・・・

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