わかってるのにやらないこと

・生活リズムの改善
・食生活改善
・収入のための仕事の妥協
・好きな事を集中してやる事をいまだできない心理状態の改善
・先を見通す力不足の改善
・母との確執を認めること・・・
・ああぁ・・・そのたもろもろ

いい人らしく振舞おうとするのをやめて、きちんと不良になりきれればいいのではないかとチャリンコ飛ばしながらなんだか思ってしまった。強風の夕方。

もう、着たい物と気候が合わない。持ってるものの組み合わせにも無理がある。
好きなセーターじゃ風が冷たい。合うジャケットが無い。ずっと男っぽくて着なかったジーンズの薄手のジャケットを着てみたらなんとなく合うような気がした。下はやっぱりジーパンで。
3000円で買ったジーパンはとてもきにいってしまった。良かった。

そして、気晴らしに地元のリサイクルショップへいらないものを売りにきた友人とちょっとだけ会ってお茶。仕事の仕方へのかるい無言のお説教。あとは気忙しくなっている私の少し乱暴な言葉の数々。先日の仕事の請求書を書きながら。
リサイクルの売れ値が悪かったと元気のない友人。私との会話でさらにつまらない時間・・・・

今日のぶつぶつは喉元から胸板へかけてがいちばん。腕と手と足先がかゆくてかきむしる事を夕べから始めた。お腹や背中足・・・・出たり引いたり・・・いつまで続くか。
母と連絡つく。りんごとバランスいい食事と医者を薦められる。頼りたいのに頼れない高齢になりつつある母。こうしてしんどいことを言ってしまう事がすべての甘え。確執への応酬。

あなたの娘はりっぱでも強くもなんともないのです。弱くて嘘つきで、かっこ良くもきれいでもなんでもない。助けて助けてと言っても誰も助けてくれる人も、頼れる人もいない、こうして強い口調で現状を伝えるだけが唯一の悲鳴・・・・・泣いて暴れる事しかできなかった子供の頃の私。それも悲鳴だったんだけど。
世間体や人並み、人よりすぐれること、人に恥ずかしくないような・・・・とそれが一番の価値だった大人たち。
まだだな。大人になれない。親孝行どころかまだ親不孝・・・・・・・・・
とうとう言葉で言った。旅行に行けそうもない・・・・・・・・と。微妙な反応。それでもこれでも彼女は母は、どこかで心待ちにしていたのかも・・・・・・そして私は大きな後悔をいつか背負うのか・・・・・かゆさはいらつきへ、自信喪失は凶暴化へ。

いっそ不良らしく生きてもいいと風の中で思った。
ジーンズの上下とブーツで自転車の上のわたしはあの日々の感覚を思い出していた。
たったひとりどこまでもどこへいくのかわからないまま走りつづけた日々。道の上、バイクのシートの上、朝も昼も夜も風の中。人も世の中も普通という事も人と同じであることもいろんなことを嫌い拒絶し、澄んだ眼をしていた頃。といってもレディスではない。それよりこわい。たったひとりでどこへでも行く女なんて、きっともっとこわい。
きっともう一度乗るんじゃないかと思う。そうでないと生きられない気がしてきた。
ヘルメットの中では泣いてもあんまり目立たない。

狂暴な血が流れると、死を常に意識すると、生きるエネルギーがあからさまに湧き出てくる事をわたしは知っているはずだから。


おまけ・・・・・
総理へご意見してしまいました。
民間療法の手技治療を医療として認めてほしい、保険の適用をしてほしいと。総理にお願いすることなのかどうかわならないけれど、もう、疲れた医者のいやいやの問診とこわい薬はいやだから。手技治療で生き返りたいし、薬漬けでいっこうに良くならない人たちが少しでも楽になれる道として認められるようにという願いです。

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この記事へのコメント

あおい
2006年12月03日 21:21
遠い日を幸せだったと懐かしみ涙ぐむ私。
後悔しないと誓った先から後悔している私。
死の恐怖と孤独の恐怖に苛まれて夜眠れない私。
この世は地獄だったんだと今更気づく私。
もう何が真で何が偽なのかもわからない私。
でももがきながら、一日をそして一日を
終わりが来るのを待っている。
・・・そう夕映えを追いかけて
自転車でどこまでもこいでいく。

人生ってそんなものだと思います。
めし屋 そのいち
2006年12月04日 01:23
わたしが変なのかもしれませんが・・・
死は怖くないです。
父、祖父母、他人、動物達・・・・・身近な人たちの死の方が恐かった。
バイクに乗ってるときは、死んでも仕方ない、そういう行為を自分が選んでやっているのだからという自覚と覚悟がありました。で、だからこそ、死なないように気をつけて、生きていること日々感謝したりしてました。何時死んでもおかしくないという状態にいると、かえって一生懸命生きてたりする、そういう矛盾がありました。人は危ないからやめろと言うのでしょうが、今の自分から思えば、今の安全な?生き方のほうが死に限りなく近いような気がします。

めし屋 そのに
2006年12月04日 01:26
あおいさん、眠れないですか?
気休めと思って、吉方に旅とか散歩とかしてみませんか?温泉は大地の気、強力です。
あと、北枕はだれでも眠れると思います。わたしは北枕です。神経症に限りなく近いと自覚していてもたっぷり眠れます。
余計なお世話でなければ、方位見てあげられます。もちろんタダで。ブログの右下の「メッセージを送る」で生年月日とか住んでる所を町名くらいまで教えて頂ければ。自分自身こんな状態なので効き目を具体的に伝えられませんが・・・・気が向かなければ忘れて下さい。お役に立てれば幸いです。では 
あと、それから、わたし、家族親戚いっぱいいるし、けっこう友人や人と会ってるようですが、子供の頃から孤独です。そういう星がついてるらしいです。なので結構平気ですが、寂しい人のほうが自然でいいと思う。そうでないと人と一緒にいたいと思わないから。きっといい人と出会えると思います。いくつになっても。
あおい
2006年12月04日 12:58
御心配ありがとうございます。でも私はたとえ終わりが近いとしてもそんな(夕映え[あこがれや良いこと楽しいこと]を追いかけて自転車[遅かろうが苦しかろうが自力で]をこいでいる)自分を楽しみながら生きています。ひとり飯さんもバイクに乗られていたということで旅(ある意味で苦労)を楽しまれるすべを知っていると思います。いつか素敵な想い出のシーンを紹介して下さい。

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