にっぽんの夏 その2

一発づつたんたんと上がる花火。
ときどき狂い咲き。
夏本番とその終りを予感させるにっぽんの風物詩。
わたしの人生も下り坂になる前に花火打ち上げないと。
花は咲かなくても、花火くらい上げないと。
盛り上がらない静かな気分で友人と2人スナックと缶カクテル飲みながら
そんな事を、ひとり思う。

風の無い夜空、煙は動かない。
蛇行した煙はまるで龍。
蛇行するもの、流れるもの、それらはみんな龍。

煙に邪魔されながらも形を崩さずすっきり広がる花火を見ながら思う。
にっぽんじんはまだにっぽんの魂を持っている。
いくらローカルな小さい花火大会とはいえ、
大勢の人間が道端に座って、あるいは立って、
静かにただただ花火を見つめる。

単なるイベントごとと何かが違う。
毎年その日をちゃんと待っていて、ちゃんとその場に行って
夏の夜、静かに花火を見て、おとなしくまた我が家に帰る。
一部、仲間と騒ぐ目的で盛り上がっている人々は別として、
花火そのものを見にくる人は、目だけでなく、魂で見ているんじゃないかなあ、
魂を楽しませるために花火を見にわざわざ出かけてくるんじゃないかなと
あまりに平和で静かでお行儀のいい見物客のみなさんの後ろで物思いするわたしでした。

その帰り、友人は暗い公園の外周の段差で転び、足を痛め、
立ち上がれずあーだこーだ言いながら、わたしは突っ立ったままどうにもできず、
そうしているうちに救急車が止まり、
は?と周囲を見回すと、数人の路上の固まりの中のひとりは倒れていて、
そばを通り過ぎたら、顔面流血。転んだのかどうしたのか。
要注意公園になるのも時間の問題か。

友人は帰った。
泊まっていく予定だったのかどうかは不明。
なにか帰りたくなる言葉を発してしまったかどうかも思い当たらないようなあたるような。
いろいろな問題の発端は、忘れてるけど、ほんのささいな自分からの発信だったりすることも
多々ある・・・と最近気がついた。

今夜もまた種まきしちゃったかも・・・・こわい。自業自得とはいえ・・・
??自業自得か?悪いのはわたしか?
友人を送って帰る露地のマンションのベランダから英語と日本語で
盛り上がる声がこぼれていた。

行きも通り過ぎ、毎日通勤でも通り過ぎる。
言葉が落ちてきた。けなされることば。嫌な感じがした。
笑い声。他人事だとそれはとても不快であると誰かが言ったっけ。その通り。
自転車で通り過ぎてからひとり口に出してつぶやいてしまった。バカガイジン・・・

いじめがはじまったらどうしよう・・・
集団とひとりの場合、ひとりはひたすらがまんしないといけないのかなあ・・・・
いつかの海岸沿いの2人連れ外国人男性のすれ違いざまの英語を思い出した。
しーいずれいてすとさまー・・・・
そのときわたしの脳ではこのように変換された、あの女はおそすぎた夏って言うんだ。

にっぽんの夏。
平和でおとなしいみなさん・・・・
それはもしかしたら、いいことばかりではなくて、
同じ土地に住む人々のつながりがほとんど無いための静かさなのかもしれないと、今思う。
昭和の昔の日本人はもしかしたら、もっと賑やかにラテンの乗りで花火を見ていたような気がする。
子供時代の夏休み、日本海の海岸の花火を思い出す。
花火一発、ナレーション5分、そんな感じの気が遠くなるほど平和な花火大会だった。



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